Taeko Goto Blog

自分の本質はどこから見える(2)経験で培った心の筋力

前話では「心の個性」が本質の私であり、これは心を形成する骨組みのようなものです。これが色から見えるということをお話しました。 本質はベースであり、ありのままの私で生き続けることは大人になっていく過程では非常に難しいものです。
大人に向かう思春期あたりから、ありのままの自分をむしろ否定して、社会に適応しようと現実世界で要求されている「本質の私」から離れた自分を鍛え上げる生き方に傾いていくものです。

思春期から本質を離れ、社会適応性にむかって作る「心の筋力」

「心の個性」が「本質の私」のベースだとするなら、経験からつけていく適応力が「心の筋力」です。 この筋力はもちろん小さい頃から比較発達した筋肉と、あまり動きがよくない筋肉というように得意不得意がありますが、筋肉は鍛えれば発達するわけで、経験で培い鍛えていくことで使えるようになります。この筋力は生まれ持ったバランスで生まれてきますが、この特徴がわかるのは本人らしい個性がしっかり見えてくる思春期以降にようやく本人も気づくという程度です。元々の素養である「本質」を包み込んで、現実世界での対応力を発揮すべく働き、経験に基づき筋力を発達させていくことで、精神的なタフになれます。

心の筋力だけに目を奪われると、本質との距離が生まれ、ぎくしゃくしてくる

心の筋力はすべてまんべんなく使えるようになると確かに楽です。自分の心がその都度、今対応している現実にどの筋力を使って向かい合っているのかが自分でも理解できるので、自然と心の内側と対話をしているような感覚ができてきます。それと同時に他人がどんな人でどんな対応をした方がいいかもかなり解ってきます。 ならば、この筋力を鍛えることで全てが上手く行くように思えると考えがちですが、そこで問題になっていくるのが本質の自分、つまりもともと持っていた「心の個性」の存在を忘れてしまうことです。筋力はあくまで元々のアイデンティティを表現するための対応力のはずなのですが、そのもともとを忘れがちなので鍛えた筋力だけで満足して、生まれ持った体質の得手不得手を見ていない状態です。 これを放置すると、忘れられたアイデンティティが思い出せと主張するために、声なきこえとして叫び始め、それは人生のトラブルとして目の前に現れるのです。

「本質の私」と「心の筋力」の統合ではじめて自分らしく生きれる

もともとの素養である「心の個性」と、社会に適応するために発達した心の筋力の双方を無視せず、心の個性と対話して、「心の個性」とそれを本当は助ける支えるための筋力という、「骨格+筋肉」という関係性の見えない心的エネルギーを自分として受け入れていくことで、ビジョンにかなった自分らしい生き方ができるのです。
逆にいえば、この2つの統合を無視してがむしゃらに生きても、本来の自分である「心の個性」は、ビジョンを思い出せと通告をしてきます。 ドライブに行くのにどんな車にのっているのかも知らずに運転するなんてありえないというのと同じですね。

まとめ

人生は、よく自分という役者が、予め決められたある程度の台本をもとに人生という舞台を演じているようなものだと言いますよね。 還暦が人生の一回りが終わったという意味だと言いますが、それに近い時間が流れると、「舞台」という意味がよく解ってきたと私は感じています。
経験が魂の食べ物で、それを食べて育ち来生へとまた旅路を続けるなら、今回の人生でどんなモーニングとランチとディナーを食べるつもりで自分という魂がこの旅を楽しんでいるのか?と想像してみるといいでしょう。 同じ旅路なら、トラブルだらけより、健康な身体(骨格+筋肉)の方がいい旅ができるに決まっていますよね。

 

 

 

 

 

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