「自分と対話する」という言葉を聴いたら、それを特別なことだと思いますか? それとも普通のことだと思いますか? 私は特別から普通になるきっかけとして、うつになったんだと後で気づきました。自分の声を聴くということが特別なことではないと思えるようになるには、そのくらいの体験が私には必要でした。 そのくらい自分の感情を無視した生き方をしていたのです。
自分との対話はちょっとした愚痴の独り言からはじまった
私がうつで仕事ができなかった時、自分の中で毎日2人の違う人格が主張する声がはっきり聞こえていました。
イライラした方の人が 「モタモタしていないで、さっさと働きなよ!なんだっていいじゃん!コンビニでもなんでもお金稼ぐ方が先だよ!」といい、静かな方の人は「だって、しょうがないよ…。今は働けない。でも何でもいいわけじゃない。コンビニで働くのは私のすることじゃない。」 ですが、イライラさんの言い分はご尤もで、私は当時シングルマザーで小学5年生の子どもを育てていましたから、本当に切羽詰まった状況だったのは確かでした。
自分との対話で自分の本音を聴き逃さないことが人生を本質に導く
決して平和ではない自分の中で繰り広げられる2人の人格のバトルの声を聴いて、本当にゲンナリしました。
そして私は静かな人の意見を採用して、自分のやりたい仕事で働くことこそ私の人生の目的なんだと決めました。 すると、2人のバトルはなくなり、私は少しずつ上を向いて歩きはじめました。
色々な言い分の声がきこえても、その中から自分らしい声をチョイスするのが決め手
自分の中には色々な性格の声があります。みんな意見が違うのですが、もともと自分が何を一番大切にしていたかに沿って、今かかえている「恐れ」から一旦離れることが、迷いの期間には大切です。
私の場合、お金を稼がなきゃいけないという緊迫した状況において安易にアルバイトに逃げないで、ぶれない自分の職業への強い志を試されていたと思います。 おそらくあの時コンビニに行ったら自分のやりたい仕事へのテンションがどんどん後回しにな、り生活のために小銭を稼ぐ自分像に押し流されたでしょう。 神様はあの時、私の本気度を試していたと思います。
本質の道を選ぶと不思議とどん底から這い上がるきっかけが届く
何とかしなきゃと藁をもつかむ思いでセミナーに参加したり本を読んだり模索を続けているうちに、自分の声を聴くのが上手くなりました。 あるセミナーに参加して久々に高層ビルの上層階に上がった時、見下ろす街の風景を見て、「ほら、上からみると色々見えるよね。」 というつぶやきが聞こえました。 当たり前の話ですが、全体を見下ろすように自分の人生を見てごらんと言われたような気持ちがして、私は 「高いセミナー代払って、得ることってこんなことぐらいなのかよ…。」 とぼやきました。 そのぼやきに特に反論はなかったのですが、その風景はやけに脳裏に焼きついて、その印象は10年経った今でもしっかり残っています。
まとめ
自分の中に聞こえたり、ぼやいたり、響いている声なき声を無視してはいけません。私はさんざん自分の声を無視して、悲しみも感じないように生きてきたことでうつになりました。でもそれは、心の声を聴くようになれるための強制レッスンだったのです。
今は、自分の中の色々な人格と仲良く対話を楽しむまでになり、人生を味わう生き方を手にいれました。 もしあなたが迷っている時期なら、心の声を聴くことで本質の人生に向かう糸口をつかんで下さい。
この記事へのコメントはありません。