5月から投稿が止まっていたのは、93歳の母が他界したことで処理業務が山のようにあったからで、それはまだ当分続きます。5月末に入院してから、それまでの機能サイクルが当然変わり、母のこと、実家に残っている障碍者の兄のこと、そして自分の普段の生活業務と3倍になったことで、疲労して1か月で2kg痩せて風邪をひいたところで彼女は逝き、フラフラな状態での葬儀でした。
亡くなったのは令和7年7月7日で、何とも潔い数字ともいえます。スリーセブン…、忘れられない命日の日付です。
ウィンターだった母の肉体卒業への願望は、ゆるぎないものだった
自分が思ったように死んでいければ問題はないのですが、いつ頃どうなって死んでいくかは予測がつくものではありません。本当は自分の寿命を生まれる前に決めてきているのでしょうが、それを憶えている人は殆どいないでしょう。母自身もよもや自分が90歳を過ぎてまで生きているとは思っていなかったようで、90歳を超えてからは、これと言って病気がなくても体がしんどくて思うようにサクサク動けない自分に嫌気がさしていたです。
これは、ウィンターにはありがちな精神構造と言えるでしょう。そもそも、ダイナミックでガツガツ動いて物事を推し進めるのが生きがいのウィンターから行動力が奪われたら、生きている意味を失う訳です。 休憩時間も少なく、次から次へとせわしなく物事を処理したり、動かしたりしていたい人が何もできなくなったら楽しみがなくなり、歯がゆさだけが残ります。彼女がやりたいことに夢中になって心血注いでいた姿をよく覚えています。夢中になってこそ人生…とでもいうような、無邪気で猪突猛進な分、興味のない社会的責任道義には稚拙な大人でもありました。
「もういい、死にたい…」
この言葉は、下向きに発せられたものではなく、自分らしく生きることは、即ちダラダラ生きながらえることではないという確固たる彼女の意志から発せられた言葉だということを私は痛いほど理解していました。
「そだねぇ、なかなか死ねないねぇ…。早くお迎えに来てくれと先に旅立った家族にお願いするとか? もうママからすれば十分おつりが出ているとかんじているもんねぇ。」 というと、 「ほんとにそうよ!」と快活に応えてきていました。
やっと巡ってきた死への扉
9年前に父が骨折が原因で入院したら、骨折どころの話ではないと医者に言われ、誤嚥性肺炎で肺が真っ白だといきなり酸素吸入になりました。一番驚いたのは本人だったのではないでしょうか? 入院するまで苦しそうにしていた素振りなど全くなかったからです。 骨折のはずなのに? と驚く我々もキツネにつままれたような気分でしたが、その2週間後に父は逝きました。 本人も家族もびっくりですが、わずかな入院生活で旅立てたのはラッキーだったのではないでしょうか?
そんな父の死に際を見ていた母なので、自分も骨折で入院を余儀なくされた事態に「死」のサインがやってきたと思ったのでしょう。でも、父と違うのは、内蔵疾患がとりたててないということ。
「骨折だけでは死ねないから、リハビリしてここを出ることを考えた方がいいよ」と母に伝えたものの、彼女はここで死んでいこうと頑なに決意をしていたのです。食事を拒否し、点滴を引っこ抜くというストライキを起こしていました。病院は生かすところだから、点滴打たれちゃうよとなだめても、引っこ抜くストライキをかなり頑張っていたのです。 そして、41日間の入院生活を経て、老衰で旅立ちました。大したものです。そんな彼女に私は、「お疲れさまでした、よく頑張ったね。」としか言いようがなかったですし、やり切った母に清々しさすら感じていました。
肉体を卒業したいという気持ちで老衰を迎える潔さ
尊厳死という言葉がありますが、自分らしい生き様を明確に感じているからこそ、その自分らしさを生きられないなら、ただ命を長らえるのは本分ではないと強く思っている人の死への願望を、私は受け入れていましたので悲しみはありません。
「やっと肉体を卒業できてよかったね」 そう、棺の彼女のおでこを撫でて「お疲れさまでした」と見送りました。
ひとつだけこみ上げるものがあるとすれば、2日前に見舞った兄が母に言われた最期の言葉…
「もう、お別れだね…」
彼女はそう言ったそうです。人は直前になると、もうすぐ自分が逝くことが察知できるようです。私の母との最期は5日前の見舞いで、最適なギフトを母に施したのです。亡き父が母に婚約の証に渡していた指輪を譲り受けていたのですが、その指輪を彼女の左薬指にはめてあげ、父の写真を母に見せて枕の下に入れてきたのです。
「パパに頑張ってもらってママを早く迎えに来いと、めっちゃ発破かけているからね! この指輪でサインはばっちりでしょう!」
そう母に伝えたら、言葉にはならないけれど、「やだぁ、こんなの持ってきたの?!」と照れくさそうなそぶりを見せましたが、おでこを撫でていたら眠ってしまいました。それが私と母の最期の時でした。安定していた様態が急変して、七夕の日に彦星が織姫を迎えに来たようです。
「まるで灯が消えるように苦しみなく静かに息を引き取りました。」という医師の説明に、父が頼んだとおりに働いたのだと思いました。
因みに父はサマーですので、与えられた役目を忠実にこなそうとする番頭さん気質です。喧嘩別れしたまま父は死んでいきましたが、そこにも私なりの愛と意図があったことを父はあちら側に行ってから気が付いたことでしょう。そして私に強く発破をかけられたことで真面目に取り組んだのだと思います。母のことが大好きだった父は、母との天の川ランデブーを直後は楽しめたのではないでしょうか?
さて、今回はウィンターの母の死に向かう決意と実行力で、41日かけて旅立った話をさせていただきました。 死に際すら潔い、やりつくしたからもういいという、家族への執着などないその姿勢がいいか悪いかの次元ではなく、一人の人間の生き様、即ち、死に様です。
死に様を自分で選択する余裕もなくなくなる方もいるわけで、何が因果なのかは死んでみて初めて分かることなのだと思います。
サマーで気遣いの私は、母にした最期のギフトはいい選択だったと思っています。深い愛をさりげなく、時には手厳しく伝えるのが私の流儀ですが、母は気に入ってくれて安心に包まれたからこそ、あの時おでこを私に撫でられて眠ってしまったあの時の安らかに見えた顔がお別れの証だったかもしれません。
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