自分の似合う色はその人の個性を表しているというお話はいつもしてきましたが、今回は色から身近な人間関係を眺めて見ようと思います。もっとも分かりやすい例として、私と母の関係をお話しましょう。
親の期待に応えることが素敵な生き方ではない
誰しも小さい頃、親から様々な躾を受け、OKとNGの判断基準をつくっていきますよね。 なので「世間=親」の価値観になってしまうわけです。幼い頃は叱られれば嫌な気分で褒められれば良い気分になりますから、叱られないように注意する意識が高まり、褒められることで自分の存在価値を高めようと自然となり、これが長年の間に 「親のリクエストに応える=良いこと」 という概念が知らず知らずのうちに出来上がります。 これを一回ぶち壊し自分らしさを感じるために反抗期という大事な時間があるのですが、それでもなお親は無意識に自分の価値観を押しつけて子どもから自由な気づきを奪いがちです。
親の価値観(色)と自分の価値観(色)の違いをよく見ると発見がある
さて、親はなぜああせいこうせいと口うるさくなりがちなのか? それは親も怖いからです。自分の価値観の想定外のことをされると対応力がないので困るという不安を抱えています。対応できるキャパがあるなら阻止せず注意ポイントを促すことで十分ですから、親も自分の恐怖心を突きつけれれているわけです。
私の母はウィンターの中でも黒が一番似合う人で、性格は一刀両断で0か100かの思考で中間地点がない、電光石火なタイプなので人の心のケアに目がいきません。 一方私はサマーの紫(プラム)が似合う人です。 プラムは赤紫のグレーを混ぜた落ち着いた色で悟りや霊性の紫に深みとよどみを加えた複雑な深遠さを求めます。 こうなると、感情で反応する電光石火な母とは全く違う生き物だということは明白で、噛み合うわけがないのです。 母の基準で一方的に雷を落とされても全く理解できず、幼心に「この人変!」と思っていました。
色の特色から関係性をながめるとよくわかる!
黒は無彩色の色どりがない(彩度がない)のが特色ですが、彩りがない分、有彩色よりもクールで無機質なコンクリートのようなイメージがあり、存在感は半端ないです。 プラムの私が落ち着きと深さで生きていたいのに、そこにコンクリートが壁のように立ちはだかっている、そんな親子関係です。 有彩色同志よりもっと相容れないものがあります。 このような場合は全く違うということを受け入れてお互いに相違点を理解し、認め合う「手続き」が必要です。私の場合、色でこの違いを示し、母もようやく別物だということを腑に落としたようです。 違うと解れば、黒の人たちもやたらと踏み込んで来るわけではありません。 要は境界線もなく無放置状態が問題なのです。
まとめ
色の違いから母は私に一目置くようになりました。一番良かったのは、「見える色」でお互いがかなり違うということを確認できたことです。目に見えて違うことで親子であっても一人の人間として見やすくなります。 あなたは「自分の色」ではない「親の色」に無理矢理あわせていませんか? 色のグループもさることながら、最も似合う色は千差万別です。親子といえども違って当たり前です。
自分の色と価値観を見つけて育てていきましょう。 次回は父との関係性です。
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