Taeko Goto Blog

自分が自分であることの強み…障害者の兄も豊かさに目を向けたその日

私が私であること… このことを私はずっと言い続けています。前話の大阪のお客様も、「こだわらないでいるというこだわりが自分にあった」という気づきを経て、自分らしさにこだわるという意味を受け入れた変化が起こりました。
その気づきの様子がこちらです。

 

自分にこだわってみる… これは一見面倒な感じ

こだわる = 吟味する = 適切不適切をいつも気にする = 疲れる = 面倒 = 周囲からも面倒がられる


という感情が裏側で自動的に動いている人も少なくないでしょう。
面倒だから、こだわらないのが一番… それも悪くはないでしょう、それで特に問題が起きないのであれば…です。
ですが、ただ面倒でスルーしている場合、必ずそのツケが回ってくるのが世の常であり、いわゆる宇宙法則ってやつですね。ツケが回ってきたときは以前スルーしたときより問題が大きく面倒に複雑になっていたりするものです。

私のツケは鬱という形で3年間私を苦しめた

私がうつになって自殺願望まで落ち込んだのは、弱音を吐いてはいけないと強烈に自分を律して心を自分で無視したからです。

「誰も頼ってはいけない」
 「頼ったら負けだ」
「自分で解決しないと大人じゃない」

こんな思い込みで自分をがんじがらめにしていたと思います。
親が信じられなかったので、絶対に頼りたくないし、甘える気にもならないし、世間的に問題ない程度に関わっておけばいいと思っていました。だからこそ、自分をより苦しめ、追い込むことしか私は知らなかったのです。
独立心旺盛なのは悪くはないですが、ムキになって人に助けを求めないのが美しいかどうかは話が別ですよね。
結婚生活16年で夫はDVのまま、私は子ども連れて逃げる経験をしていましたから、なおさら誰も頼れないというトラウマは強化されていたわけです。どうにもならない鬱の苦しみで、私は死ぬことも考えてしまった自分にある意味驚き、そこから、やりたいことをやるしかないと決断しました。面倒で頑なな自分を受け入れて、カラーという道具で自分にしかできない仕事を創り上げていくことを自分に許可したのです。 それまでは、すぐにお金を稼げる仕事をすぐやりに行けというもう一人の声が強く私を責めていたのです。

完璧じゃない自分を受け入れた…それが鬱という大きなツケのギフト

自殺まで考えて死ぬことも諦めた私は、やれることでやりたいことををやるしかないと、器用じゃない自分を受け入れました。そこからです。何だか人生に光が差し始めたのは。大きすぎたツケは、ともすると命まで危ぶまれる可能性もあります。だからツケは貯めない方が良いに決まっています。違和感を感じたら検証する癖が備わっている人は大事にならないで済むのです。


つまり、面倒だとこだわらないでスルーしていることと、検証をしないことは全く違うのです。違和感レベルで検証して対処する、方向転換している人は、大事にならないので全てスルーしている様に見えますが、実は一つ一つを早めに吟味しているのです。
ダメに思っている自分にこそ、あるいはあなたが拒絶していることにこそ、糸口があるのです。
次ページに、障害のある私の兄の話をしますと…

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