過去の自分を振り返ってつくづく思うことは、「できない」ということはほとんどないのだろうということです。私が「本質の自分」が解れば見方が変わり、自分らしく生きることが出来ると言っているのは、言い換えれば、自分が気がついていない意識の外の自分の強みや能力に気づくことで、苦労が苦労でなくなるということです。
「できない」は今まで生きてきた自分の思い込みを基準に考えているから
できない・・・ というネガティブな感情は簡単に自分の記憶に刷り込まれます。嬉しい感情はじわじわと記憶されることが多く、よっぽどの大きなイベントやセンセーショナルな瞬間がないと嬉しさがインパクトを持って記憶されるパターンは少ないですよね。嫌なことや、残念な想いは、良いことより速く数多く記憶の中にシュンシュンと貯まっていく感じがしませんか? 痛みに対して私たちは予防したいがばっかりに、逆に痛みに敏感になり、すぐ感じ取ってしまうという悪循環が起きます。感じたくないので防備するはずが、センサーが鋭くなって結局すぐ感じては自分を苦しめている訳です。 なので、私たちは「できない」「ダメな」自分を余計に強調してため込んでいるような状態といっても良いでしょう。この仕組みがすでに「罠」なんですね。
私がこの「罠」にはまっていた経験を書いたのがこの記事です。
とらわれた「思い込みの自分」を手放してしまえば、可能領域は全く変わる
だからといって、諦めるなんてアホな話はありません。要は「カラクリ」を理解して、大半はため込んだ防備したいセンサーの過度の反応なんだと手放してしまえば良いのです。この「罠」は自分の「できない」記憶に加え、親から言い含められたネガティブな評価や親の価値観からくる「禁止令」などが巧みに絡まっていますので、その絡み具合はややこしいのですが、ほどく糸口は必ず存在します。私はその糸口を見つけるために、色と心をずっと観察してきました。ほどけてしまえば、後は「お疲れ様でした!」とネガティブな感情を労ってお別れすれば良いのです。そうすれば、「できなかった」ことは、ウソのように溶けて消えていきます。
未来の自分とともにいるイメージが優先されると過去は単なる履歴に過ぎない
苦しんでいる人は、過去の自分を「自分」だと思っています。今まで(昨日まで)できなかった自分がずーっと続くと思っています。よく考えてみて下さい。過去のあなたは確かに記憶の中にいますが、「今」のあなたは毎秒更新されていますよね? だから、毎秒更新しているにもかかわらず、過去の記憶をずっと未来の自分に当てはめる方が論理的におかしいですよね? 過去は過去、今は今、未来は未来ですから、過去と同じである必要はありません。だって考えてみて下さい。さっき昼食をとったという記憶があったとして、夕方になればさっき食べたからいらないとはなりませんよね? それって、「さっき食べたけど、もう4~5時間たったから小腹空いた~」という自分をおかしいと言ってるのと同じですよ。 いま、ご飯食べても、6時間もすればまた、「今、食べた履歴」は意味をなさないですよね。過去の感情の履歴を大事に保管してもほとんど意味がないですよ。だから、「今を楽しもう!」といった言葉があるわけで・・・。ドンドン流れる時間の中で感情だけ保管しすぎな異常な記憶を、普通に時間経過に任せて流し、未来の自分を更新していいにきまっています。
能力がないのではなく、自分の能力に気づいていないだけ
私が人前で喋れないと思い込んでいたのは、小学生の時の泣いて意見が言えなかった惨めな私が深く記憶に刻まれたからですが、永遠に私がそうでなければならない理由はありません。この記憶は私を10年以上ダメ人間として決定づけましたが、15年後の社会人の私はこの伝説をぶち破りました。自分の意識が自分を縛っていませんか? あなたが思っている以上に、あなたには可能性があるというのが、むしろ真実なのです。それを見つけるために、私は色と心の両輪から「あなたの本質」を見つけます。
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