あれは、25年前の4月の桜が美しい季節だった・・・。
私はこの時から10年間、桜を見上げられなくなった経験をした。
その10年間を経て、さらに25年、そう、息子は今年25歳。それなりの逞しい青年になった。
私はその傷を負う必要がなぜあったのか?
今から25年前に何が起こったか? 世の中にたくさん転がっている、何とも理解しがたい人でなしなことが起こりました。私は自分だけが不幸だとは思っていません。だって、世の中にはもっと大変で嫌な想いをしている人がたくさんいると思っているからです。でも、それが心を病んでしまう落とし穴でもあるとあなたは気づいていますか?
25年前の4月、私はやっと授かった息子を身ごもった臨月のお腹でした。予定日は5月3日。4月半ばでしたから、もうぱんぱんのお腹です。そんな頃、かつてよりDVのようだと感じていた夫が夜中に帰ってきたのか、何だったか、もう憶えていませんが、言い合いになり、私のお腹をめがけて足を蹴り上げました。
危ない・・・。ひとつ間違えば命が危ない!
私はこれまで味わったことのない恐怖心に襲われました。
「私の命と子どもに命、ここまできてあと少しでこの世に送り出せるのに、こんなところで失ってはいけない!」と私は必死に台所の隅にうずくまり、お腹をかばって叫びました。
「いいから出て行って!子どもは私一人で育てる!」
そう言ったのは憶えています。旦那は何が原因で怒り出すか解らない人でした。でも、優しい人でもありました。まあ、よくあるDVのパターンですが、その時はまだよく分かっていなかったのです。ただ、私は後で優しくなったとしてもそれを帳消しにする弱い女ではありませんから、恨みを蓄積させていきました。
「もう、信じられない」
そんな声が私の中に響いたように感じましたが、私にはそれをしっかり受け止める余裕などありませんでした。彼は子どもを楽しみにしていましたし、生まれたら可愛がるだろうことも予想は付きましたが、臨月のお腹を、それもまもなく生まれる第1子が入っているお腹を蹴るという行動に、私は悪魔を見ていました。
「人間じゃない! 人がやってはいけない行動だ!」
私の信念は、この世のものじゃないくらい怒っていましたし、理解ができずショックで、ただショックで、もう夜中の2時を過ぎていましたが、家の中にいたくなくて外に出ました。その時が桜満開の美しすぎる夜桜で、ハラハラと散る花びらが夜空に映えて、この上なく美しかったのをよく憶えています。
「そう、私はこんなにショックで、悲しくて、みじめで、でもこの子を無事に世に送り出すためには弱くいられない。私は強くなければいけない。くじけてはいけない。もうこの子は生まれてくる!」
私は泣きながら、ハラハラと美しく咲く桜の下を数時間、お腹を抱えて歩き回りました。こんなに美しい桜なのに、私の人生は最悪だ・・・。 美しすぎる風景は私の大きすぎる悲しみと重なって私の潜在意識に深く刻まれてしまったのです。私はなぜこんな傷を受けなければならなかったのか? これが私のPTSDだと気づくにはここから時間がかかりました。
ここから10年、桜は見上げられなかった
私が記憶していたことより、私の心の奥深くに刻まれた痛みと傷が癒えるのに10年かかるとは、その時思っていませんでした。私は桜が大好きです。春になると咲く桜を見上げ、愛でる気持ちは皆さんと一緒です。でも、気づいたのです。好きなはずの桜を見ると息苦しくなってしまい、とてつもない悲しみが襲ってくることに、はじめは困惑しました。
あれ?何が起こっているんだろう? どうして好きな桜が見られないの?
そして気づきました。あの美しすぎた夜桜が私の痛みと一緒に同化している・・・?
あまりにキレイで、余りに悲しすぎたあの夜の風景・・・。
そしてここから10年、私は桜を見上げることを諦め、下を向いて歩くことになりました。
次に上を向くために10年もかかるとは、この時思ってもいませんでした。
この続きは、次回へ。
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