自分の身の危険を感じるときは、ウルトラマンのように、ピコーン、ピコーンと胸の辺りでアラームが鳴る感じがしませんか? 私は自分の危険状態を察知するとき、この状態をイメージします。そう、ハラハラドキドキするのかどうか?を意識するようにしています。
先日、かねてより登りたかった山に登ろうと出向いたら、あいにくにザーザー雨に見舞われ、それまでの私の感覚では、「とても無理」と感じる朝でした。
やりたい!でも無理かな?試すことで本質はより鮮明になる
以前から登りたいと思っていたので、行きたい気持ちは満々です。でも天気は雨が降ったり弱まったり。で、問題はどこで諦めるか?ということです。諦めるのはとても簡単です。「や~めた!」でいいわけですから。「また来るからいいや!」というのもあり。「運がわるいなぁ」というのもあり。「ま、こんなもんでしょ。」というのもあり。
あなたは、どういうタイプですか? 私は今度こそは・・・という意気込みもありましたので、「行きたい!」はありましたが、連れも女性ですし、山体験は私よりやや少ないかな?という彼女を危険な目に遭わせたいわけではありません。が、彼女もチャレンジ精神が豊かなことも知っていました。だからこそ、誘ったのです。 そう、彼女も変わり目に来ていると感じていた私がいたからです。
「1時間登って雨がひどかったらやめて引き返そう。」そう二人で決めて歩き出しました。
「いま、30分経過、どうする?」「今、1時間経過、どうする?」 私は尋ねながら進みました。
1時間経ったところで、先を歩いていた男性に追いつき、抜かして歩いて行くと、次に60代女性二人が降りてきました。
「少し上が、もう道が川だから私たちは諦めてまた来年きます。」といっておられました。
「なるほど!それもひとつだ。」と私たちも言いながら進み、すぐそのポイントにきましたが「まあ、ここまでもそうだったし」という話になり、「ここまでくると雨には慣れるね!」と合意をし、その地点で少し小降りになったので私たちは歩き続けることを決めました。
選択するから体験できる、本質の自分に同化する
登山ではありませんが、私は昨年結構な出費をしました。ぶっちゃけヤバい感じでしたが、人生を今後20年スパンで見たときに今必要なこと…という観念で眺めて決断したことが下記の3つです。
1,高額の勉強会に行くという決断
自分が苦手なことを苦手だと避けるのでは無く、何が苦手でイヤな感じがするのかその構造を確かめた上で、本当に苦手ならそれば 誰に変わってもらうか考えようと、嫌いな世界(私の場合IT音痴だと思っていた)をのぞきに行きました。
そしたら「後藤さんは音痴じゃなくて、慣れが少ないだけ」と言われました。
まぁ確かに理解出来ないのではじゃなくて、面倒に感じるだけか? という確認もすると、嫌いな意味も見えてくる。つまり、自分の苛立ちポイントもみえてくるわけです。
2,人を使って自分を客観視するという決断
人を使うというのは対価を払うということです。自分は人からどう見えているのか?
私を表現するとして、それを他者に伝わるようにフラットな言葉にして表現するなら、自分の言葉で綴っても正確な表現にはならないだろうと考えたので、私のHPを作り替えるに当たり、他者に表現してもらうことをお願いしました。
そう、自分の思っている「私」と、他者から見ている「私」には絶対誤差があるはずだからです。私はその誤差を認知したかったのです。20年後までビジネスをするなら、生きるなら、いま、知っておきたい「知っている自分」と「気づいていない私」の誤差を確認して、自分を更新したいと考えました。
3,まだ未達成の目標に対して自分の心のよどみを観察する決断
何となく「やりたい」と思っている目標があったとして、それが至近距離には無い感じなら、それは何故か?
多分、まだ自分に許可がどこかしら降りていないからなのでしょうが、これってメッチャ自分で解りづらいんですよね。
上手くいかないのは、結局自分がどこかで「上手くいかなくていい」と思っているんです。
そう、停めているのは結局自分ということです。
で、口先で「○○なっていい!」などとアファメーションしたところで、全く意味なしなんですよ。 口先だけで言ってるのか、本気のエネルギーなのか、見えない助っ人達や宇宙にはお見通しですからね。 つまり行動が伴わない判断してもらえないのです。
行動するということは、自分がそう想うという観念を強化した形ですから立証したということになります。
私が1でいう勉強会に行ったのは、この「よどみ」、つまり「やりたい」と、無意識の「やりたくない」の誤差を確認するために起こした行動です。 結果、自分が「やりたくない」と思っていた部分がハッキリしてきて、それを捨て去る作業が開始され、行動に移されてきましたので、未達成の目標が少し至近距離になってきました。 「なるほどね…」と思っています。何となくやれそうな気配が漂ってくるから面白いものです。
小さな選択は大きな選択を呼び寄せる予行訓練
さて、今回の登山が私にもたらしてくれたことは、
1,アラーム感度をうまく使う
2,限界調査をするに当たり、小刻みな確認ステップを置くことの重要性
3,その地点での自分の感覚を研ぎ澄まして決断をすること(ダメと判断するなら潔く引き返す)
4,決めれば、見たことのない風景(達成感・疲労感・自己更新)に出会える
5,自己更新をすすめることで好き嫌いもより精査でき、自分を確かめられる
6,歩みを進めることで足らなかったツールがあることがわかる(何を学習すればいいか、どんな道具を備えるか)
連れの女性は若干の高所恐怖症があったとはじめて知りました。びびる彼女をサポートする自分を見たときに、「ああ、こういうこと、昔から得意だったな…」と認識しました。彼女は自分の限界値を越えることができたと言っていました。お互いたくさんの更新項目があり、確かな収穫でした。
行くか?やめるか? 危険ではないのなら、やらないことはただの損失
今回の登山で、筋肉痛は半端ないものになりました。でも筋肉痛でどこの筋肉が鍛えられたと自覚出来るわけですから、そこを強化できればもっと歩きやすいという話ですね。これは心の筋力も同じで、ドキドキするなどの緊張があって心の筋力が鍛えられますから、「選択をしない」「進まない」を続けていれば、心もメタボまっしぐらの成人病路線になるのは必然です。身体を鍛えて丈夫になるのと同じように、心も鍛えて体幹を強くすることは特別なことではないのです。
あなたが、自分の「人生の質」をみて選択を避けていないかが、心の筋トレをしているかどうかであり、心の体幹を養っているかどうかという目安なのです。
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