結構な年数を生きてきても自分の良さや強みを正確にわかっている人は少ないと思います。あそこはダメだ、ここは力不足だという問題点は、自分の願望の裏返しとして毎日意識しているのに、出来ていることは当たり前になっていてスル―し、自己評価ポイントに少しも加算されていないのではないでしょうか?
長所ってなんですか?それって短所が犠牲になってくれてるだけです
自分の長所を考えたら、いくつ出ますか? でも、長所って短所を犠牲にして成り立ってるって知ってます?
私の場合 忍耐強い
目標に向かって着実に歩む
真面目
信念がある … などがわかりやすいのですが、これらをささえている嫌悪感を見ていくと
無責任で飽きっぽい
ムラがあって先が読めない
信用がない
ちゃらんぽらん … となります。要はこれらが嫌いなのです。
嫌いなものを遠ざけるために長所は頑張らざるを得ない
私は、上記の嫌悪感がある状態や人が嫌いなので、これを絶対に避けたいと思っています。だから自分にきつくてもああなっちゃいけないと無意識層から表層意識に「あれはいかん!」と指示を出します。
無責任で飽きっぽなっちゃいけません!
ムラがあっては目標は達成できません!
信用されないのは人として終わりです!
ちゃらんぽらんも信用されません!
これらの禁止令が、私の長所を支えているわけです。言葉に書き出せば、まあごもっともな感じではありますね。
でもなんだか疲れませんか? 息苦しい感じもしますよね? もし、毎日親に言われ続けたら、「わかってるって!」と反発したくなりますよね?
嫌悪感を感じたくなかった無意識は強烈な禁止令で長所をつくる
この禁止令たちは、私に気を緩めることを許可しません。
休んだらだらしなくなっちゃうよ。
きちんとやらないと信用されなくなるよ。
ムラがあったら達成できないからダメ人間と思われるよ。
信用されなかったら人として終わりだよ。
これらの禁止令に支えられて私の長所が活躍しているのです。これに気づいた時、かなりの疲労感を感じました。
十分に息苦しい人生を生きてきた理由には、こんな禁止令が私に中にあったからです。
もし、この禁止令を解いたとしたら、私はどうなる?
仮にこれらの禁止令を解いて、「〇〇でなくってもいいよ。」と自分の心に言ったのならどんな感じがするかといえば、
休んだっていいんだよ。
そんなにきっちりしなくてもいきなり信用がなくなるわけじゃないよ。
人間なんだからマシーンみたいに動かなくてもダメにんげんじゃないよ。
信用されないのは度合いの問題でしょ。
こうやって、禁止令にたいして逆説的な許しの言葉をかけると、私はもっとゆるんでいいんだのびのびしてもいいようなリラックスの気持ちが湧きました。 そう、私は長い間、自分がリラックスすることを許さないで生きてきたのです。
なんて痛い奴なんでしょう(苦笑)
まとめ
ゆるまない身体は緊張して痛みが生じるように心も痛み出します。このことに気づいてから、自分がやたら補色の配色が最高に綺麗だと思っていた理由がわかりました。 そう、私は補色を使って心を緩ませることをどこかで欲していたからこそ、その配色が大好きなのです。 長所と短所という両極端の感情を犠牲にし合うのではなく、双方をもって美しくバランスをとった補色配色のように自分をしたかった…のだと。
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