似合う色の診断が世の中に知れ渡ってから20年近くの月日が経った昨今、「私も診断したことあります。確か〇〇というグループでした。」というをたくさん見かけます。でもそういう人はたいてい似合う色を着ていません。 なぜそうなのでしょう?
似合う色を知ることが単なるアトラクションになってる
何事も経験することが変化の始まりですから、知らないことを体験してみることが大切ですが、体験をどう活かすかでまったく人生の取り組み方が変わってくるのも事実です。
「知ってます!」 という人に会うと、「なるほど、それでどうしてその色を着ているのですか?」とある人に聞いたことがあります。するとその方は、「え?だって黒とかのほうが無難じゃないですか? なんか後藤さん怖い~。」 と言われました。
私からすると、体験したなら活用しないのはなぜだろう?と思うし、興味がなかったのなら知ってますとその専門家の前で体験したことを興味ありげに言うのがおかしいと思います。
たぶんその方には、単なる遊園地のアトラクションみたいに、通過すれば知ってる話題というテンションだったのでしょう。
「知ってる」では変われない、「使う」で変われる
例えば知識と知恵の違いについてよく話題になることがありますね。知識は知っているだけで、それだけでは生きる知恵にはなっていないという話です。 体験して活用状況の適性を踏まえたところで初めて知恵になるように、知っていても使わないと有難みも使い勝手のよし悪しも判断がつきません。 「知ってる。」という人の言葉を聴くと何につけ「それで?」と聞き返したくなります。使わないと何も意味がないのです。
例えば、「教習所の中で運転の練習はしたから車の運転はしたことあるけど、免許はないから一人では路上を走れないけど、運転は知っています。」と言ってるようなもので、ドライバーからすると、 「で?何が言いたいの?」 みたいな話です。
変われる人は「体験」で判断し、自分軸で意見を言う
変わりたいとい口では言いながら変われない人は、似合う色を知ってもその色を活用するまでに至らず、「ふ~ん。」で終わらせます。興味がないなら、ないで却下するのは自由ですから、堂々と「好きな色を着ていたいんです。」と言えばそれでいいと思います。半端な人は、着たらどう思ったという感想も述べる体験もせずに「知ってる」と言ってしまうのです。
こういう人が、「変わりたいんですが変われないんです。」と嘆きます。 変われるチャンスがあっても、いつもアトラクションでスル―するから実体験にならず、活用可否の判断に至る前に知ったことだけで終わってしまいます。
例えば、青が似合うと解ったら青を着てみて自分がどう感じたかを体験し、その体験が自分に気持ち良いものでなかったら、採用しなければいいのです。 この場合、「何回か試してみたのですが、なんか気持ちがよくなかったのです。」と意見を言えることになりますし、体験として気持ち良くなかったことが分かったので、何故か?という疑問に発展するかもしれません。
まとめ
変わりたいなら、「知ってる」はいらない言葉です。今の時代知るだけなら検索だけで知識は得られますから、体験しなければ自分の想いが見えません。青が似合うと言われても、変わることを自分に許可している人はあらゆるチャンスを自分に体験させ、青を着て少し違和感があるなら水色に変えてみたり、紺色にしたりと次のアンテナを張っていきます。
変わりたくても変われない人は体験をさぼります。
変わりたい人は、是非似合うを着てその感覚を味わってください。私が見てきた多くのお客様は自分の色に出会って皆、人生を大きく転換させています。変われるきっかけを自分に与えることは生きる醍醐味です。
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