理屈ではわかっていても変えられない思考パターンや癖を、過去の経験、トラウマと向き合うことで解決する自己啓発セミナー、という受け止め方をしたので、「きっと“あの辺り”のことを指摘されて、“例の方法”で解決をしていくのだろう」と結末を予想していました。
日頃から自己啓発本やビジネス本を読み漁っている人なら、だいたいの手法は想像がつくものです。
ところが本当の問題は「あの辺り」の横に掘ってあった「落とし穴」にありました。
私は自己分析には自信があったのですが、むしろ、身の程知らずのチャレンジで不要なストレスを作り出して本来の性格をねじまげていることがわかったのです。
ところが本当の問題は「あの辺り」の横に掘ってあった「落とし穴」にありました。
本来の性格をねじまげていることがわかったのです
私は自己分析には自信があったのですが、むしろ、身の程知らずのチャレンジで不要なストレスを作り出して本来の性格をねじまげていることがわかったのです。
私のように理屈先行で“このテのセミナーなら大体結末は予想できる”と思っている頭でっかちの人(は結構多いはずだ!)にこそ、「いいから受けてみろ」と言いたい。
ゼッタイに「想定外」の事実をつきつけられるから!
本で読むような綺麗ごとや建前ではなく、自分仕様にチューンナップされた生き方マニュアル、思考ツールを手に入れることができるでしょう。
実はセミナーを受けるにあたって私は大いに緊張していました。
このテのセミナー(後藤先生のセミナーではありません)は恥多き人生の暗部を暴露させて精神的に追い詰める手法を使う、と東スポで読んだことがあったのです。
それでも申し込んだのは、先に受講した方の「いいから受けてみろ」という強い薦めと、後藤先生の個人カウンセリングを3日間受けられる、という価値を感じたからでした。
いや、まだ何かある、まだ何かを隠してる気がする
だからセミナー当日の朝はオフィス近所のマクドナルドで大きい方の用をたして相当な気合を入れて臨みましたが、セミナーは予想に反して、ざっくばらんな雰囲気で進みました。
確か、花粉症で鼻くそをどう処理するか、という議論から入ったように記憶しています。
このように気楽な世間話をしているうちにいつの間にか本題に入っていて、職場の嫌なヤツ・苦手なヤツ・怖いヤツ(みんな同じヤツだ)とか、損した話、怒られた話、へこんだ話のグチをぶちぶちとぶちまけて「あ~スッキリした!」と思ったら横のホワイトボードにキーワードがびっしり書き出されている、という具合でした。
何気なく始まる世間話から、いつの間にか本題に入っていて気がついたら自分の恥多き人生をほぼ語りつくしていました。
こんな事まで言うつもりじゃなかった…ということをぽろりといったとたん、「そこ、大事」とボードに書き出されます。
世間話でぽつりぽつりとこぼしたエピソードの数々が新たなキーワードでつながり、一気に意味を持つ“人生の罠”の構造が浮かび上がってくるのです。
「そうだったのか…」と半ば納得しかるのですが、後藤先生は不満気な表情です。
「いや、まだ何かある、まだ何かを隠してる気がする」と。
心の底に、静かに、ふつふつと湧き上がる“根拠のない自信”を感じています
ひょっとしてアレがバレたのか!?アレは勘弁してくれ、もう時効だよ!などといろんな「アレ」が走馬灯のように浮かんでは消えます。
増えていくキーワードがつながって、やがて過去の一点に収斂した結果は私の中に、真逆の性格をしたもう一人の“俺”がいる、ということでした。
自ら矯正して作り上げた“私”ではなく“俺”の方がエネルギーがストレートに放てること、“私”の知識と“俺”の直感とパワーが融合すると、日常の問題のほとんどが解決してしまうことを実感しました。
そうして現れたのは“オレってこんな奴だったんだ!”という爽快な結論です。
セミナー受講後は一時的なテンションの高まりではなく、心の底に、静かに、ふつふつと湧き上がる“根拠のない自信”を感じています。
トラブルが起きても、何をすることが自分にとっての“正解”か、がわかるのです。
「やるべきことをやったなら後は相手の問題であってオレの知ったことではない」「何が起きても死ぬことはないし何とかできるだろう、ていうか、四十過ぎてこんな余裕かましてるオレって大物じゃね?」という心境を皆さんも味わってください。(本当に“~じゃね?”という若者言葉が心の中に響いてくるんですよ)
要らない劣等感を自分に刻んでいたようです。
セミナー受講後1ヶ月経ちますが、今はあらゆる場面で“私”と“俺”がブレストをしています。
以前の私ならかなり深刻な捉え方をするトラブルを“俺”の方は「なんとかなる」と受け止めるようです。
セミナーではもうひとつ、重要な成果を得ました。
あらゆる人間関係の悩みを消す真言です。
後藤先生「解釈は相手の自由。あなたが悩んでも仕方がない」
私的変換「それは相手の問題であって私の関知するところではない」
俺的変換「それは奴の問題で俺の知ったこっちゃねー」
要するに、自己啓発本やビジネス本で通りいっぺんの原因や対処法とは考え方が根本的に異なるものでした。
私はそれまで、けっこう冷静に自己分析をしていたつもりでしたが、実は、かなりの身の程知らずで無謀なチャレンジを繰り返しては挫折して要らない劣等感を自分に刻んでいたようです。
「俺は楽しいことだけをしていたい人であった!」
私の中の“俺”が日常のもやもやを爽快にぶった斬ってくれるようになりました。
確かに、生きるのが楽になりました。