出来る人は… とどのつまり自分を信じていることで、腹の底から炎が湧きあがっているようなイメージがあります。
その炎を「愛」と呼ぶか、「情熱」と呼ぶか、「育み」と呼ぶか、「慈しみ」と呼ぶか?
あなたはどれがフィットしますか?
自分らしく生きる…それは自分色を発するところから始まる
前向きに人生を生きるなら、自分を疑ってもきりがないのだとどこからか想うようになります。前話で私がどん底から蘇った話をしましたが、今私がいきいきと生きているならいつからそうなったのか?と振り返ると、もう嫌だと言うほど勉強させられる難題な人と向き合い、与えられた学びをやり終えた時に、「もういいだろ…。」という心境になりました。
好んでその人と向き合う世界に入っていきましたが、私が想像した世界はそこに全く無く、愕然とするばかりでした。何でこんなことになるんだ…? こんなことのために時間と情熱、労力、気力を使ったのか?と思うような悲惨な現実がそこにありました。その時の色は、もちろん自分の強い意志があったので青系なのですが、やはり暗く、藍色のような時代でした。そこに
その人を助けたいという想いもあったので、深い青緑も混ざっていたでしょう。でも少しも明るい爽やかな色にはならなかったのです。でも自分で決めてやり切った!それだけは言えるから、しんどくても私は自分色を発していました。
自分色を発していると、違う色に変われるタイミングも見えてくる
うまくいかないまでも、自分の色を発するような生き方をしていると、色を変えるべき時もはっきり見えてくるものです。そう、もうふさわしくない状況に対してこれ以上引っぱっても意味がないことがはっきり見えてきます。
私がやるだけやってもう無理だと思った時は、藍色だった世界に、怒りにまみれたどす黒い赤を感じていました。健全な情熱は綺麗な赤ですが、怒りやねたみなどの感情はどす黒い感じです。色を感じるというより、自分の腹の底にドロドロした不健全な泥のような暖色を感じるとでも言いましょうか…。 真摯に生きている人ならそれを感じるとどうにもこうにも違和感がでてきてしまい、違う色に塗り変えたい衝動が起こるのが感じることでしょう。
塗り替える!それを発動する!その瞬間明るい青空が覗いたように感じる
深い藍色で意志を貫いてきたものの、どす黒い赤で限界を感じ、色を換えたくなった時に心地がいいわけなく、迷いイライラし衝動を感じていました。自分が決めた道を途中で脱落するようで悔しさもありました。 でもこれ以上同じ色を自分に与え続けることが健全には思えなかったのでやめようと決意し表明した瞬間に、台風の中で一抹の青空を見たように思いました。 「ああ、あそこから青空が広がっていくのか?」 それが幸せになるかどうかは、その時の自分には想像がつきようもない感じです。 ただただ、塗り替えたかった…。 そのくらい気づかぬうちに疲れていたのです。
まとめ
いま、その頃の自分と比べてどう違ったか? それは、塗り替えたことでしか受け取れなかったと思います。塗り替えるのはそこまで100点満点じゃなくても精一杯やったと感じた自分を自分が認めた行為だったのです。 ハイヤーセルフの自分がここにいる自分に塗り替えていいんだよと言ったのを聴いていたのだろうと理解したとでも言いましょうか。
そして、塗り替えたことで、自分は自分の色を決めていけるんだという自信にもなりました。人はそうやって自分の世界を次々に塗り替えていく更新作業をしているのでしょう。今の自分に最もふさわしい色を本質と相談しながら選ぶことが自分の人生の道を歩くことなのだとつくづく思える今の私が、以前の私より自信のある私になったと認めています。
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