自分ってどういう人間で何を望み、どこへ行きたいのだろう?
割と小さい頃から、私はこんな疑問を持ちながら生きてきたように思います。 小学校入学直前に、「そもそも何で小学校に行くんだろう?」と疑問に思った自分をよく憶えています。 尋ねたところで期待する答えが返ってくるとは思っていなかったからでしょう、親に質問することもなく自分の中で「ま、必要なんだろう。」 くらいに自分を説得していたと思います。
人生のイベントに目を奪われ過ぎている生活が楽しくなった?
幼稚園、小学校、中学校…と進んでいく人生のイベントのエスカレーターに乗っかっていく現実世界の自分と、それをみているもう一人の自分の存在を実はけっこう感じていたのかもしれません。 思春期まではもう一人の自分の存在の方が大きかったように感じていたと、今だからこそ気づき、当時の自分を俯瞰して思いだせるまでにたどりつきました。 思春期からは、大人の「現実世界」に突入した感覚が起こり、俯瞰している自分を感じないように少しおさえて、成績や友人関係、クラブ活動などの現実世界の現象に必死に食らいつく選択に踏み込んでいきました。
それでも消えることはない生まれ持ったアイデンティティは耐え忍んでいる
毎日を生き抜くことは目の前のスケジュールに追われる生活です。忙しくしていると自分の心の声は聴いている暇がありません。でも、生まれ持った心の個性(アイデンティティ)は黙ってあなたを見ていて、本来の自分とのギャップが大きくなると「苦しいよ、悲しいよ」とあなたにつぶやきます。
私は似合う色から人をずっと観察してきてそのパターンをみつけました。 肌の色の中にその想いと声はちゃんとメッセージとして組み込まれているという驚きの仕組みに森羅万象の偉大さを感じたくらいです。
私の場合は、感情的に爆発する母に対抗するために強くなることを目標にしていましたが、むしろ繊細でぼんやりしているゆるいアイデンティティだったと気づかされ、子どもの頃の自分を思い出していました。
現実世界の荒波を泳ぐことですっかり忘れていた「本質の私」は、いつも遥か遠くに何があるかを見つけたい私だったのです。
生まれ持ったアイデンティティは意識では変えられない自分らしさ
血液型が自分の肉体を構成するひとつの条件なら、心を構成するベースの条件が、色からわかるのです。心の血液型とも言えるこのパターンは、似合う色としてあなたに気づいてもらうチャンスを待っているかのようです。ですが、私が思春期から忘れて過ごしたように、大人になる過程で無意識で封印してしまうケースがほとんどです。なぜなら、社会に適応するために、いままで通りではダメだと必ず周囲の大人たちから警告されるからで、要求された人格になろうと自分を封印することをいつの間にか誰しもやってしまいます。 これが悪いというより、「本質の私」に気づけていればそのギャップを調整すればいいのですが、大概の場合は気づかずに思春期に突入するので、無理をし続けてギャップがどんどん大きくなり、大人になってから耐え忍んでいた「本質の私」が悲鳴をあげるところまで突っ走ってしまい、人生の大きなトラブルとなってあなたにメッセージを送ってくる事態を引き起こします。
まとめ
「本質の私」=アイデンティティはあなたの心の奥底に深く静かにあなたに気づかれることを待っています。
私も色からそこに気づき、現実世界の自分とのギャップを埋めることで、息吹を吹き返すような事態を38歳で迎えました。このことで新しい生き方を自分に許せるようになりましたが、それは元々の遠くを見ていた自分を思い出す生き方に過ぎなかったのです。
私達は、いつから自分を忘れて生きてしまうのでしょう。 封印せずに生きてこれている方は伸びやかな性格の方だと思いますから、それは素晴らしいことです。 大人になって人生が不自由に感じているあなた、ギャップが悲鳴になる前に、「本質の私」を再発見して下さい。私がお手伝いしますから。
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